「にんじん」(ルナール)

異様さばかりが目につくのですが

「にんじん」(ルナール/窪田般彌訳)
 角川文庫

赤い髪とそばかすのため、
家族から「にんじん」という
仇名で呼ばれている少年。
彼は姉兄二人と比べ、
不当な扱いを受けている。
押し付けられる雑用、
差別的な対応と
理不尽な怒りを見せる母親、
関心の薄い父親、
その中で少年は…。

ルナールの名作「にんじん」を
再読してみました。
これで三回目です。
初読は小学生のときです。
学校図書館で読みました。
小学生のときはわくわくして
読んだ記憶があります。
読書の素晴らしさを知る
きっかけとなった本の一つです。

二度目は二十年ほど前、
文庫本を買って読み直しました。
実はこのときは
読んで衝撃を受けました。
「にんじん」はこんなに変な少年の
物語だったのか?と。

まず、「にんじん」の残酷さです。
「しゃこ」では、
靴でしゃこの頭を蹴りつぶす。
「もぐら」では、
もぐらを何回も石にたたきつけて
断末魔の様子を観察する。
「ねこ」では、
猟銃で猫の頭を半分吹き飛ばす、等々。
当時は神戸での
例の事件があった直後の頃でしたので、
余計気味悪く感じてしまいました。

続いて、
「にんじん」の底意地の悪さです。
「鍋」では、
年老いた女中が自ら辞めなければ
ならないようなミスを
誘発するしくみを企てる。
「赤い頬」では、
寄宿舎の室監を、
告げ口して解雇に追い込む。
大人の一生の問題を
こんなふうに玩んで
いいのだろうかという疑問が生じます。

さらに、
「にんじん」の家庭環境の異様さです。
というよりも母親の異様さでしょうか。
辛い仕事を押しつける。
遊びに行かせない。
些細なことでわめき散らし、殴りつける。
あろう事か、「失礼ながら」では、
にんじんに
寝小便を入れたスープを飲ます。
現代では児童虐待で訴えられても
文句は言えない状況です。

でも、本作品はそのような
異常心理家族を描いた
物語ではありません。
取り上げられた出来事を
一つ一つ自分の物差しで測っていくと、
異様さばかりが目につくのですが、
子どもの視線をこれだけ的確に
表現し得た作品は
他に存在しないのではないでしょうか。
子どもの目に映った風景を、
感傷を交えず
客観的に文章として置き換えていった
手法は際立っています。

思い出しました。
自分が小学生のときに感じた興奮は、
読み手である自分と同じ目線で
「にんじん」が
自分の周りの困難にくじけることなく
したたかに生き抜いている姿に
共感してのことだったということを。
悪の組織や怪物と戦う英雄ではなく、
最も身近な壁である「母親」と対峙する
等身大の主人公に、
小学生の自分は
心をときめかせていたのでした。

ネット上の本書の書評を見ると、
「こんな残酷な本が名作なのか」
「こんな本を推薦する者の
気が知れない」というような意見が
少なくありません。
しかし、小学生中学生の時期にこそ、
本作品の真価を最も感じ取ることが
できるのではないかと思うのです。
勇気を持って
中学生に薦めたいと思います。

(2020.10.14)

Adina VoicuによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「にんじん」(ルナール/岸田国士訳)
※青空文庫の訳者は本書と異なります。

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